土曜日, 11月 29, 2008

穫り遅れたブロッコリー


夏の野菜は 良きにつけ 悪しきにつけ 変化が急です。 トマトや胡瓜の収穫には 朝晩 農園に来ることもありますし 1日来ない間に 病気や害虫によって致命的なダメージを受けることもあります。
 その点 秋の野菜は生長がゆっくりしていますので こちらも鷹揚になりがちです。 そのうえに西風が冷くなると つい足が遠ざかってしまいます。 
 芽が出た ソラマメやスナップエンドウに気を取られて ブロッコリーには ご無沙汰してしまいました。

 その間に ご覧の通りの 巨大なブロッコリーになり 花蕾を切り取るのに苦労しました。
 店頭で売られているブロッコリーは 傘の柄の様な立派な茎が付いていますが このブロッコリーは花蕾のみの目方で 700gr もありました。
 穫り遅れても このころに収穫するブロッコリーは 柔らかく 美味しいです。
 柔らかく茹でたブロッコリーをたっぷり使って ニンニクと鷹の爪にアンチョピを効かせたソースで パスタを戴きました。


青梅街道 両側のイチョウ並木が色付き 今年もいい色になりました。
 イチョウの樹 一本一本が大きくなり 歩道のアスファルト面があちこちで 根が盛り上がって 歩き辛い程です。
 その歩道にギンナンを落とす樹があります 朝早い時間には 袋を下げて ギンナンを拾う姿が見られます。
 秋も終局の感がします。
 
 

月曜日, 11月 24, 2008

シシトウ「伏見甘長」


シシトウの「伏見甘長」です。
 あと数日で12月 こちらでも "薄らと霜が降りていた" と言う声を聞く此の頃ですが ここの「伏見甘長」は いまだに元気です。 これも地球温暖化の影響でしょうか? 
 この「伏見甘長」が植えてある場所は 陽当たりはよくありませんが 西と北が樹々で囲われて 寒風が当たらないことと 樹の枝が畑の周りを覆っていて 霜の降りる風の無い寒い夜は 地面からの放射冷却を緩和する形になっていることも シシトウには好都合なのかも知れません。

 いずれにしましても 7月から 11月いっぱい迄 無病息災 虫も着かず 丸々5ヶ月間 実が生り続け 1株当たり5~600本の収穫がありました。 
 「伏見甘長」は ヘタを取って 油を敷いたフライパンで 押さえながら両面を焼き 醤油を回しかけて 醤油の焦げた味だけで戴くと ちょっとした箸休めになり とりわけ ビールのツマには最高です。
 人さまに差し上げても 簡単調理で 何方にも喜ばれますので 売れ残って冷蔵庫の野菜室に貯まることはありませんでした。

 さて このシシトウの跡は何を植えましょうか? 今から種を蒔いても 揃って発芽させるには かなりな日数がかかるでしょう。
 ちょうど 公園のケヤキの色も変わってきましたし 落ち葉拾いのタイミングです ここで堆肥を作ることにしましょう。
 この場所は 面積が狭くて 多くの堆肥量は望めませんが 幸いに冬場の寒風には守られていますのでよろしいでしょう。

金曜日, 11月 21, 2008

フォトコンテストの写真


杉並区は東京23区の西端にあって 「みどりの都市」を標榜した町づくりを目指しています。
 比較的みどりが残っているように思いますが 区内の農地面積は東京ドーム12杯分程で 区の総面積に占める割合では わずか1.6%しかなく 更に 年々減少傾向です。 また 区内の農家(全て兼業農家です)数は これも減少傾向で 現在は200戸弱だそうです。 
 区役所の組織の中には都市農業係があり 都市型農業に沿って 農業関連の普及啓発や 農家と区民のふれあい事業などを行っています。
 その中の一つに農業祭りがあり 毎年 収穫の秋にいろんな催物が開かれます。 農作物の品評会や農業フォトコンテストもあります。  

 その農業フォトコンテストに 今年 ブログに掲載した写真の中から 2点を選んで応募しました。
 8月1日付け「中玉トマトで作ったドライトマト」の中で アップした「中玉トマト フルティカ」の写真が入選 展示されました。
 なお 品評会は 大根やブロッコリーでも箱単位のもので 生産性や品質の揃いがポイントです 我々の様な1本や2本程度では 対象外です。

月曜日, 11月 17, 2008

西洋ネギと聖護院

しばらく振りで畑に出てみました。
西洋ネギ(リーキ)と聖護院大根が目に留まり 写真に撮りました。

 西洋ネギは 今年の春 フランス土産に種を頂きましたが 今まで育てた経験は皆無でした。 ネット検索の知識で まずはトライしてみることにしました。
 春の彼岸に 九条ネギと同時に種を蒔き 7月に苗を仮植えして 9月に定植しました。
 西洋ネギは 葉の出方に方向性が有るので 定植の時に葉の出る方向が 畝の方向と直角になる様に植えました。 それ 以外は 従来の九条ネギと全く同じようにして育てて来ました。
 追肥 土寄せも九条ネギと同様に行いましたが 九条ネギは 追肥 土寄せの都度 生長の手応えが感じるのに 西洋ネギの方は あまり変わり映えのしない 何となく 物足りない感じがして づっと初心の不安に付き纏われていました。
 今回 見て 葉の幅が広くなり 根元の色が柔らかみを帯びて 西洋ネギの白くて太い 柔らかな茎が 土の中で育ちつつあるイメージが浮かぶ様になっています。
 霜が降りて 九条ネギを収穫する頃には 初の西洋ネギも? との期待が持てます。  

 その 西洋ネギに比べると 生長の早い聖護院大根は 9月に入ってからの種蒔きでしたが もうご覧の通りです。
 種蒔き後は ひもじい思いをさせて 根を深く伸ばさせました。 種蒔き後 一ヶ月待たせて 追肥をやると ぐいぐいと葉は大きくなりました。 蝶の飛ぶ数も少なくなった頃に トンネルをはずすと 葉は一回り大きくなり 今日見ると 根も太く 聖護院大根らしくなっていました。
 12月に入り 西風が冷たく吹くと まるまると太った聖護院大根が穫れ 寒い日に 温かい大根の煮物が待たれます。
 また 聖護院は 青首大根に比べると葉のボリュームも多いようです。 大根の葉は 柔らかく 栄養価も高いので 無駄にはなりません。 大根は 生育も早く 病害虫にも強く 捨てるところもありません 長年 冬野菜の王座に君臨しているのも当然でしょう。  

金曜日, 11月 14, 2008

奈良と大阪へ


しばらくブログを お休みしました。
 その間 秋の奈良に行って 興福寺の国宝館・東大寺の戒壇院と三月堂・新薬師寺など 主に 仏像を見て来ました。
 奈良は冷たい雨が降る あいにくの天気でしたが 修学旅行をはじめ観光客で大変混んでいました。

 写真は 観光ルートから 少し外れた 新薬師寺の本堂です。 ここに着いた時は 幸い雨も上がって 萩の葉のぼさぼさした黄色が 天平建築の簡素な佇まいを引き立てていました。
 たまたま 今朝の新聞ニュースによりますと 新薬師寺の創建当時は 七堂伽藍 東西両塔が整った大寺院で 中でも 金堂は幅約59メートルのほぼ全面が階段と言う 当時の建築では珍しい構造の遺跡が出て来たとのことです。
 しかし 現在残っている天平建築物はこの本堂のみで しかも この建物は 当時 食堂(じきどう)でした。
 堂内は 観光客も少なく 薬師如来坐像をぐるりと取り巻いて安置されている 十二神将立像を一体づつ じっくりと拝観できました。
 見上げると 天井を張らずに白い屋根板をそのまま見せ そこに垂木が等間隔に並ぶだけの簡素な造りが 天平建築らしい好い感じでした。


 さて 今回の関西行きの主目的は 小学校の同期会に参加することでした。
 我々 小学校の同期生は 全員 大阪の第一回大空襲で焼け出され ちりじりになった仲です。 それだけに求心力が強く 毎年この時期に集まって 旧交を温め合っています。
 今年は 戦災によって焼失した母校跡に集合し 当時の面影が消え去った街に出て 各自の家らしい所を探して歩きました。 所々で昔話に花が咲き お互い 昔のことはよく憶えている年頃になったことを確かめ合いました。

 上の写真は 母校にあった「花乃井」と言う井戸の現状です。 写真には写っていませんが 横に母校跡の石碑も建っていました。
 この井戸は 江戸時代には岩見国津和野藩 亀井氏の屋敷井戸でした。 井戸の水は 大阪では珍しく良質なものであったことから 明治元年 明治天皇大阪行幸の際に献上し「此花乃井」の名を与えられ 以来 通称「花乃井」と呼ばれる名水でした。
 明治2年の版籍奉還によって 津和野藩の屋敷は官に収められ 同5年に小学校が出来ても井戸は維持管理されました。
 我々が通っていた頃は 学校の南西の角は鬱蒼とした木が生い茂って その茂みの中に蓋をされた井戸と「此花乃井」の石碑がありました。
 戦災の後 街の区画整備と現在の中学校校舎建設の際に 井戸は ご覧の通り 石碑と井戸石の外形だけが 北東の角に移され 周りには冊が巡らされて覗けません ピンクに塗られた 建物は 現在の中学校校舎の一部です。 今や 「花乃井」の面影も かっての名水も なくなっていました。