月曜日, 12月 29, 2008

堆肥作り

 今年も最後の作業は 堆肥作りです。

不特定多数の人が 次々と土地を借りて使う菜園では 土作りが最重点課題になります。
 従って 家庭菜園を初めた時から 良質な堆肥をたっぷりと土に入れることを心がけてきました。
 そのために 手に入り易い公園の落葉と 古畳を解体して得られる藁切れを主材料とし 近くのJAや米屋で買える乾燥鶏糞と米糠を加えて 「バイムフード」を醗酵促進剤にして 短期間で良質な醗酵堆肥を作って来ました。
 当初は 仲間3名で1m×2mの大きな枠をコンパネで作り その中で堆肥作りをしました。

 今年は 1名分で畑も少なくなり 車での持ち運びも簡単にできる 小さな組み立て式の木枠を新設しました。
 写真のブルーシートを掛けた木枠がそれです。 大きさは 内寸の1辺が約75cmの立方です。 
 更に当初から変わった点は 世の中が乾燥鶏糞から醗酵済鶏糞に変わり JAでは乾燥鶏糞の入手が困難になりました 醗酵済では堆肥の醗酵を促す窒素源にはなりませんので鶏糞を堆肥作りに混入す事を止めました。
 また 藁を芯にした畳を敷いた家が減り 古畳の入手も困難になりましたので 落葉と米糠と促進剤だけで堆肥作りをしています。
 それぞれの割合は ケヤキの落葉を南京袋にギュウギュウ詰めにして2袋と クヌギの落葉を同じく1袋半に 米糠20kg バイムフード0.5kgです。
 積み込みの仕方は 下記の切り返し作業手順と同じです。
 3日目には醗酵温度は45℃に上昇 順調に醗酵が進んでいることを確認しました。 その後4〜5日で次の行程の切り返しをする予定でしたが 雨の日と強風の日が続いた為に 積み込み後10日目に第1回の切り返しをしました。(中心部の温度は60℃前後でした) 

さて 堆肥切返しの目的は 醗酵熱によって蒸発した水分の補給と コチコチに固まった落葉の塊をバラして 好気性菌のために空気を入れること 菌のエサになる米糠を加えることと 枠の中央と端 上と下 の醗酵を均一にするため 全落葉の場所替えを 一気に行うことです。
 3メートル角のブルーシートを広げ 木枠内の上部から順次取り出します。 その過程で 乾燥の進んでいる部分には ジョロで水を掛けながら 枠内の落葉を全部取り出します。
 積み込みは 取り出しとは逆に 上にあったものを 一番下に 端にあった物を中央に入れて 水を掛けながら(押え付け無いで)表面を均し 落葉に米糠をまぶします。 落葉を大箕で山盛り2杯入れると まぶした米糠に 醗酵素を一掴み 均一に振り掛けます これで一段の積込みが完成です。(途中で乾いている所には こまめに水を掛けます)
 この作業を6回繰り返すと 落葉は全部枠に納まり 枠の7〜8分目の高さ迄なります。 落葉の最上部にはゴザを広げて覆い 水分の発散を防ぎます。 写真は 5段目迄積み込んだところです。
 
 自然状態で 落葉が腐葉土になるには一年程かかりますが この醗酵素を使った促成落葉堆肥は 4〜5回の切り返しで完熟堆肥になり 3月からの夏野菜の土作りに 間に合います。
 更に この堆肥には 米糠を醗酵させた 良質の有機肥料分がしっかり 含まれていますので トマト・胡瓜・ナス 等の元肥として 過リン酸石灰を混ぜ込んで施します。 秋にトマトや胡瓜の片付けをする時に トマトや胡瓜の根が堆肥を入れた所に密集して張り巡らされている のを見てもその効果の程が解ります。
 また この落葉堆肥を作るポイントの一つに落葉を濡らす水の量があります。 解説書によると『水を掛けた落葉を強く握り 指の間から水が滲み出る程度』とありますが 落葉自体の水分の状態が均一ではないので 経験で習うより法は無いようです。

 この一年間も 有意義なお交わりを頂き 有り難う御座居ました。 来年も 変わりませず 宜しくお願い致します。 
 どうぞ 佳いお年をお迎えになられますよう お祈り申し上げます。

火曜日, 12月 23, 2008

開墾地の作物 その3

 開墾地の3つ目の畝には マルチと防虫網のトンネルを張って かねて育ててあった カラシナと カキナの苗を定植しました。

ちりめん葉からし菜は 葉が独得のカール状をしていて 葉にボリューム感があります。
 漬物で 2日目ぐらいの浅漬けで戴くのが最高です。 このところ毎冬 この からし菜の漬物は欠かすことがありません。 
 名前の通り カラシナの風味があり 鷹の爪と一緒に漬けると更にピリッとした食感が生きて来ます。
 また 1〜2日の浅漬けは 濃い緑色が際立って 見た目にも 冬の食卓を引き立てます。

 もともとは 東北の雪の少ない太平洋側の冬野菜の様ですが 東京でも 真冬の寒波に当たると 葉の色が悪くなるので 例年は9月初めに種を蒔き 11月の後半頃から 順次 大きくなった葉を摘み取って収穫し 12月の寒波がくると 穴空きの防寒フイルムのトンネルを掛けながら 春 花芽が出るまで 葉を摘み取って漬けています。
 今回 この開墾地は11月からの使用になりましたので 面倒ですが 10/20にポットに蒔いて時間を稼ぎ 開墾地の土作りが終わった11月の中頃にここに定植したものです。 その後 中耕とボカシ肥での追肥・土寄せをしました。
 まだ ご覧の通りの葉 ですから 摘み取るには小さ過ぎます。 もうしばらく お漬物は おあずけです。

カラシナと同じ畝に このカキナを4株植えてあります。
 関西育ちの私は こちらに来て 農園で 初めてカキナを知りました。
 厳しい冬を耐え忍ぶカキナは 春に咲く花芽を付けようと 寒い時期から脇芽を伸ばしだします。 ですから その脇芽は柔らかく 独得の風味を持っています。 春を呼ぶ食材の一つとして 毎年 作り続けて 我が菜園の 冬野菜の定番になっています。
 例年は7月中に種を蒔いて 株を大きく育て 脇芽が付く葉枝の数を増やして年を越すパターンでした。 ところが今年は 11月にならないと植える場所が無いので 12cmのポットで株を育てられる限界を見計らって 9月に入ってそのポットに種を蒔き 株を育てて ここに定植しました。
 株が根付いた後 開墾地の土を馴染ませるために 根の周りを中耕して ボカシ肥で追肥をして 土寄せをしました。
 スタートは遅れましたが 陽当たりのいい この農園や 比較的暖かい日が多かったことや 防虫網トンネルを掛けてあったこと等の効あって 例年に比べて株は小さいが 脇芽の中には 既に 3~5cm ほどに伸びているのが見えます。
 年が明けると 春を呼ぶカキナの風味を味わえる 予感が嬉しいです。 

金曜日, 12月 19, 2008

西洋ネギの収穫


ネギの美味しい時期になりましたので
 初めて作った 西洋ネギを掘り上げてみました。
 白い部分の長さは30cm程あり 太さもまずまずでした。

 早速 2皿にして試食してみました。
 先ず 西洋ネギを4~5cm に切り バターを溶かし 弱火でじっくり火を入れました。
 1品は それにチキンスープを加えて 温め 塩・胡椒で味を整えた スープに。
 もう1品は ホワイトソースをかけ チーズをふって グラタンで戴きました。
 次回は 白ワインで火を入れて スープや煮込みで試してみようと思っています。
 なお 切り落した緑の葉は 繊維が硬くて食べられませんが スープストックなどに使われるので 置いてあります。 

右の写真は 11/17 ここにアップした時の写真です。
 その時にも書きましたが 春の種蒔き以降 九条ネギと同じ要領で世話をして来ました。

 ここで 両者を比較しながら 総括してみますと 梅雨明け頃に 九条ネギが罹り易い 赤さび病の心配は無要でした。 また 虫の害も 幼苗期には ネキリムシに食い倒されたのが 何株か有りましたが それ以降は 葉が硬い為か アブラムシ等も付きません。
 そう言う意味では 育て易いネギです。 
 さらに 7月に 仮植えをして 9月に本植えするケースと 7月に本植えし終えるケースと比較してみましたが 両者の間には 確たる違いは見られませんでした。
 西洋ネギは 暑い間は 九条ネギに比べて 生長が遅く 涼しくなると 急に大きくなる様に思います。 従って しっかりした大きな苗を7月に定植して 夏過ぎからの追肥・土寄せを 重点的に行うのがよさそうです。 

日曜日, 12月 14, 2008

開墾地のソラマメとスナップ

前回掲載しました開墾地の残りにも 小松菜・ホウレンソウの畝と同じように 堆肥や腐葉土と有機物の肥料をタップリと施し 土を3回耕して菜園用の土に仕上げ もう2本 畝を作りました。
 小松菜・ホウレンソウの隣の畝には ソラマメとスナップエンドウを植えました。

 写真のソラマメは11月5日頃に 1晩水に浸置いた種を 1ポット 2粒づつ 5ポットに浅く蒔きました。 
 4〜5日目ぐらいから 種が動き 1週間で発芽しました。
 ソラマメは 本葉2枚目ぐらいの 幼苗の方が寒さには強いと聞いています。
 家に置いておくと どうしても過保護になり 苗が徒長するので 本葉2枚の時に 畝に黒マルチを張って 株間40cmで定植し 防虫網のトンネルを掛けました。
 朝晩の気温が下がり 農園の通路等は真っ白に霜が降りるようになっても ソラマメは 背丈が伸び 支柱も建てました。
 ご覧の通り 脇芽も見えて来ました。 今年も寒さ対策に 穴空きフィルムを被せることになりそうです。
 また ソラマメの天敵アブラムシに備えて 防虫網のトンネルは必需品です ソラマメの生長に合わせてトンネルの高さを変える前提でセットしました。

 スナップエンドウもソラマメと同じ日に蒔きました。
 こちらは5年前の古い種だったので 4粒づつを4ポットに蒔きました。 古い種ですが 水に浸けてから蒔いたので 翌日には種が動き出し 3日目には15/16が発芽しました。 その後 1ポット当り2株に間引きました。
 昨年も 徒長させて 花の咲かない部分が間延びし 一番花が咲いたのは 顔の高さ程になりました。 その為に 必要以上に背の高いネットを張ることになってしまいました。
 今年は そうならない様にと 早く畑に定植しましたが あまり際立った改善は認めらず 相変わらずヒョロヒョロノのノッポになっています。
 取り敢えず もう少し しっかりした竹の枝を差して 冷たい西風に耐えられる支柱が必要です。

水曜日, 12月 10, 2008

開墾地での種蒔き


交通の便が悪いために 今まで残っていたキゥイー畑が撤去され 建売住宅に姿を変えました。
 そこに隣接する場所が 11月から農園として 借りられることになりました。
 陽当たりは 申し分ありませんが 地中には石に混じって 種々の廃材が埋まっています。 耕そうと思っても ショベルが地中に入らないぐらい固く わずか10平方メートル程の土地を掘り起こすのに4日もかかりました。 更に ここを 菜園に転換させるには 大変な労力と資材が必要でした。
 取り敢えず 気温がまだ高い11月上旬に 小松菜やホウレンソウの種を蒔く1畝を準備するのに 苦土石灰に バーク堆肥を10kg 腐葉土を2袋 肥料成分も全て有機物(醗酵鶏糞・油粕・骨粉・草木灰)をたっぷりと土に混和し 合計3回土を耕しました。
 それでも まだ写真でご覧の通り 石ころやこちこちに固まった土の塊がゴロゴロしています。 中には 篩い分けしている人もいました。

 11月の初めは 比較的暖かい日が続いたので 4〜5日で発芽しました。
 ところが その後が大変でした 雑草が小松菜よりも勢いよく芽を出し 小松菜は残して 雑草を取るのに苦労しました。 更に 土が固く せっかく発芽した小松菜やホウレンソウは 根を土の中へ伸ばせないで 浮き上がった様になりました。 土を細かく潰しながら根が隠れるように両側から根元に土寄せしてやりました。
 1ヶ月も経つと 本葉もしっかりしてきたので 筋蒔きの両側にショベルを差し込んで 株が動くほどの かなり強い中耕で土を砕き 空気を入れました。 ボカシ肥で追肥をして 株元に土を寄せ 筋の間に潅水もしました。
 写真は それから3日ほど経って 落ち着いた状態です。
 3メートルちょっとの畝に 手前から 小松菜 ベンリ菜 ホウレンソウ の3種類を蒔いてあります。
 収穫は 暦の春が来てからでしょう また その頃が 葉物野菜の最も美味しい時期でもあります。 

日曜日, 12月 07, 2008

「もの作り」を想う

先日 或るメーカーのトップの方と もの作り について話し合った際に 「もの作りに対するパッションが無くなった」との言葉がありました。
 最近の日本では もの作りの現場は ひたすら ”安く、早く、大量に” 作ることにのみに関心が向いている様です。
 本来もの作りは 使う人の立場に立って 生活に必要とされ 十年経っても使い続けられる 信頼性のあるものを 一生懸命工夫して 丁寧に作るのが原点のはずでした。 ところが 流行を追い 格好だけが新しいもの 安易に使い捨て出来るものを作る流れになっています。
 日本のただ一つの資源である もの作り の先行きが心配です。

 さて 息子が乗って来た この英国製の自転車で 30km強のサイクリングに行きました。
 毎日乗っている国産の軽快車と比べて あまりにも大きな違いがあるのに驚きました。
 この自転車は 文字通り自転する車で 走りが軽く 車のバランスがいいので アップダウンのある道を30km程度走っても 全く疲れません。 違いの主因は 高圧タイヤを履いていることでしょうが やはり サイクリングの長い歴史を持つヨーロッパで培われた 自転車に関するノーハウや それを作り上げる技術が 絶えることなく 今に引き継がれている その もの作りの違いが大きいと思いました。 

 次の写真を見ていただくと この自転車は一つ一つ 手作りで丁寧に作られていることが解ります。
 例えば キャリアーは全て溶接構造で出来ていて その手溶接のあとが見えます。
 また 車輪のドロヨケけに描かれた2本の金線も手書きです それは奇麗な並行線に描かれていますが よく見ると 印刷でつけた線とは違う 筆を持つ人の息遣いが感じられる線です。 
 そのような 丁寧にものを作る姿勢が 随所に感じられます。

 また 使う人が 好みや 使い勝手の良さ を求めて改造して 愛着をもって長年使い続ける気持ちにさせることも もの本来の使命であり もの作りの原点に繋がるものだと思います。
 この自転車は 長年にわたって顧客からのフィードバックを受け こつこつと工夫を重ねた結果が盛り込まれた作りになっています。
 まず 左の写真は 普通はリアー側に付けられているスタンドを車体の中央に付け変えた写真です。前輪の勝手な動きを抑えて安定感がでます。

 右の写真は フロントに ちょっとした物が入るカゴを取り付けたものです。
 カゴはワンタッチで外せて そのまま手提カゴとしても使えます。
 状況に応じて カゴをカバンに取り替えるのも ワンタッチで出来ます。 カバンには書類やペットボトルの飲み物ぐらいなら すっと入ります。
 この自転車は 長く 大事に 心地よく乗りたくなる自転車です。

水曜日, 12月 03, 2008

最後の福耳と初取の聖護院


大型シシトウ「福耳」は 3月に入ってから 発芽器「愛菜花」に種を蒔き 苗を育てました。
 5月の始めに4株 定植し 1ヶ月ほど経って収穫が始まりました。 以降 手のひらサイズの大きなシシトウが 休みなく穫れました。
 始めの頃は 辛味は薄かったが 暑くなるにつれて辛味が増してきました 乾燥と肥料切れを起こさない様に 水やりと追肥を続けました。
 秋になっても 実は小ぶりにながら 数は多く生り 葉も青々と繁りました。 まだ 枝先には花も咲いていますが この気温では 実の肥大は望めませんし 隣に植っている白菜や大根に 日を当ててやりたいこともあり 終えることにしました。
 枝を切り落しているのを 仲間が見付けて「葉が奇麗なのにもったいないなぁ いらないのないのなら 貰って帰って 葉唐辛子の佃煮でも作るか」と言って 葉の付いた枝はほとんど片付けてくれました。

 一方の 初取り聖護院は 根もまずまずの出来でしたが それにも増して 葉がきれいで上々でした。 葉は硬いところは分けて茹で 細かく切って 削ブシをたっぷり入れて煮 皮はキンピラにしてこりこり感を味わい 根は大きく切って 昆布と干し椎茸を入れて煮ました。 まさに 大根尽くしの食卓でした。
 
 

土曜日, 11月 29, 2008

穫り遅れたブロッコリー


夏の野菜は 良きにつけ 悪しきにつけ 変化が急です。 トマトや胡瓜の収穫には 朝晩 農園に来ることもありますし 1日来ない間に 病気や害虫によって致命的なダメージを受けることもあります。
 その点 秋の野菜は生長がゆっくりしていますので こちらも鷹揚になりがちです。 そのうえに西風が冷くなると つい足が遠ざかってしまいます。 
 芽が出た ソラマメやスナップエンドウに気を取られて ブロッコリーには ご無沙汰してしまいました。

 その間に ご覧の通りの 巨大なブロッコリーになり 花蕾を切り取るのに苦労しました。
 店頭で売られているブロッコリーは 傘の柄の様な立派な茎が付いていますが このブロッコリーは花蕾のみの目方で 700gr もありました。
 穫り遅れても このころに収穫するブロッコリーは 柔らかく 美味しいです。
 柔らかく茹でたブロッコリーをたっぷり使って ニンニクと鷹の爪にアンチョピを効かせたソースで パスタを戴きました。


青梅街道 両側のイチョウ並木が色付き 今年もいい色になりました。
 イチョウの樹 一本一本が大きくなり 歩道のアスファルト面があちこちで 根が盛り上がって 歩き辛い程です。
 その歩道にギンナンを落とす樹があります 朝早い時間には 袋を下げて ギンナンを拾う姿が見られます。
 秋も終局の感がします。
 
 

月曜日, 11月 24, 2008

シシトウ「伏見甘長」


シシトウの「伏見甘長」です。
 あと数日で12月 こちらでも "薄らと霜が降りていた" と言う声を聞く此の頃ですが ここの「伏見甘長」は いまだに元気です。 これも地球温暖化の影響でしょうか? 
 この「伏見甘長」が植えてある場所は 陽当たりはよくありませんが 西と北が樹々で囲われて 寒風が当たらないことと 樹の枝が畑の周りを覆っていて 霜の降りる風の無い寒い夜は 地面からの放射冷却を緩和する形になっていることも シシトウには好都合なのかも知れません。

 いずれにしましても 7月から 11月いっぱい迄 無病息災 虫も着かず 丸々5ヶ月間 実が生り続け 1株当たり5~600本の収穫がありました。 
 「伏見甘長」は ヘタを取って 油を敷いたフライパンで 押さえながら両面を焼き 醤油を回しかけて 醤油の焦げた味だけで戴くと ちょっとした箸休めになり とりわけ ビールのツマには最高です。
 人さまに差し上げても 簡単調理で 何方にも喜ばれますので 売れ残って冷蔵庫の野菜室に貯まることはありませんでした。

 さて このシシトウの跡は何を植えましょうか? 今から種を蒔いても 揃って発芽させるには かなりな日数がかかるでしょう。
 ちょうど 公園のケヤキの色も変わってきましたし 落ち葉拾いのタイミングです ここで堆肥を作ることにしましょう。
 この場所は 面積が狭くて 多くの堆肥量は望めませんが 幸いに冬場の寒風には守られていますのでよろしいでしょう。

金曜日, 11月 21, 2008

フォトコンテストの写真


杉並区は東京23区の西端にあって 「みどりの都市」を標榜した町づくりを目指しています。
 比較的みどりが残っているように思いますが 区内の農地面積は東京ドーム12杯分程で 区の総面積に占める割合では わずか1.6%しかなく 更に 年々減少傾向です。 また 区内の農家(全て兼業農家です)数は これも減少傾向で 現在は200戸弱だそうです。 
 区役所の組織の中には都市農業係があり 都市型農業に沿って 農業関連の普及啓発や 農家と区民のふれあい事業などを行っています。
 その中の一つに農業祭りがあり 毎年 収穫の秋にいろんな催物が開かれます。 農作物の品評会や農業フォトコンテストもあります。  

 その農業フォトコンテストに 今年 ブログに掲載した写真の中から 2点を選んで応募しました。
 8月1日付け「中玉トマトで作ったドライトマト」の中で アップした「中玉トマト フルティカ」の写真が入選 展示されました。
 なお 品評会は 大根やブロッコリーでも箱単位のもので 生産性や品質の揃いがポイントです 我々の様な1本や2本程度では 対象外です。

月曜日, 11月 17, 2008

西洋ネギと聖護院

しばらく振りで畑に出てみました。
西洋ネギ(リーキ)と聖護院大根が目に留まり 写真に撮りました。

 西洋ネギは 今年の春 フランス土産に種を頂きましたが 今まで育てた経験は皆無でした。 ネット検索の知識で まずはトライしてみることにしました。
 春の彼岸に 九条ネギと同時に種を蒔き 7月に苗を仮植えして 9月に定植しました。
 西洋ネギは 葉の出方に方向性が有るので 定植の時に葉の出る方向が 畝の方向と直角になる様に植えました。 それ 以外は 従来の九条ネギと全く同じようにして育てて来ました。
 追肥 土寄せも九条ネギと同様に行いましたが 九条ネギは 追肥 土寄せの都度 生長の手応えが感じるのに 西洋ネギの方は あまり変わり映えのしない 何となく 物足りない感じがして づっと初心の不安に付き纏われていました。
 今回 見て 葉の幅が広くなり 根元の色が柔らかみを帯びて 西洋ネギの白くて太い 柔らかな茎が 土の中で育ちつつあるイメージが浮かぶ様になっています。
 霜が降りて 九条ネギを収穫する頃には 初の西洋ネギも? との期待が持てます。  

 その 西洋ネギに比べると 生長の早い聖護院大根は 9月に入ってからの種蒔きでしたが もうご覧の通りです。
 種蒔き後は ひもじい思いをさせて 根を深く伸ばさせました。 種蒔き後 一ヶ月待たせて 追肥をやると ぐいぐいと葉は大きくなりました。 蝶の飛ぶ数も少なくなった頃に トンネルをはずすと 葉は一回り大きくなり 今日見ると 根も太く 聖護院大根らしくなっていました。
 12月に入り 西風が冷たく吹くと まるまると太った聖護院大根が穫れ 寒い日に 温かい大根の煮物が待たれます。
 また 聖護院は 青首大根に比べると葉のボリュームも多いようです。 大根の葉は 柔らかく 栄養価も高いので 無駄にはなりません。 大根は 生育も早く 病害虫にも強く 捨てるところもありません 長年 冬野菜の王座に君臨しているのも当然でしょう。  

金曜日, 11月 14, 2008

奈良と大阪へ


しばらくブログを お休みしました。
 その間 秋の奈良に行って 興福寺の国宝館・東大寺の戒壇院と三月堂・新薬師寺など 主に 仏像を見て来ました。
 奈良は冷たい雨が降る あいにくの天気でしたが 修学旅行をはじめ観光客で大変混んでいました。

 写真は 観光ルートから 少し外れた 新薬師寺の本堂です。 ここに着いた時は 幸い雨も上がって 萩の葉のぼさぼさした黄色が 天平建築の簡素な佇まいを引き立てていました。
 たまたま 今朝の新聞ニュースによりますと 新薬師寺の創建当時は 七堂伽藍 東西両塔が整った大寺院で 中でも 金堂は幅約59メートルのほぼ全面が階段と言う 当時の建築では珍しい構造の遺跡が出て来たとのことです。
 しかし 現在残っている天平建築物はこの本堂のみで しかも この建物は 当時 食堂(じきどう)でした。
 堂内は 観光客も少なく 薬師如来坐像をぐるりと取り巻いて安置されている 十二神将立像を一体づつ じっくりと拝観できました。
 見上げると 天井を張らずに白い屋根板をそのまま見せ そこに垂木が等間隔に並ぶだけの簡素な造りが 天平建築らしい好い感じでした。


 さて 今回の関西行きの主目的は 小学校の同期会に参加することでした。
 我々 小学校の同期生は 全員 大阪の第一回大空襲で焼け出され ちりじりになった仲です。 それだけに求心力が強く 毎年この時期に集まって 旧交を温め合っています。
 今年は 戦災によって焼失した母校跡に集合し 当時の面影が消え去った街に出て 各自の家らしい所を探して歩きました。 所々で昔話に花が咲き お互い 昔のことはよく憶えている年頃になったことを確かめ合いました。

 上の写真は 母校にあった「花乃井」と言う井戸の現状です。 写真には写っていませんが 横に母校跡の石碑も建っていました。
 この井戸は 江戸時代には岩見国津和野藩 亀井氏の屋敷井戸でした。 井戸の水は 大阪では珍しく良質なものであったことから 明治元年 明治天皇大阪行幸の際に献上し「此花乃井」の名を与えられ 以来 通称「花乃井」と呼ばれる名水でした。
 明治2年の版籍奉還によって 津和野藩の屋敷は官に収められ 同5年に小学校が出来ても井戸は維持管理されました。
 我々が通っていた頃は 学校の南西の角は鬱蒼とした木が生い茂って その茂みの中に蓋をされた井戸と「此花乃井」の石碑がありました。
 戦災の後 街の区画整備と現在の中学校校舎建設の際に 井戸は ご覧の通り 石碑と井戸石の外形だけが 北東の角に移され 周りには冊が巡らされて覗けません ピンクに塗られた 建物は 現在の中学校校舎の一部です。 今や 「花乃井」の面影も かっての名水も なくなっていました。  
 
 

水曜日, 10月 29, 2008

茎ブロッコリーと大型トウガラシ


8月の終わりに畑にデビューした 秋野菜のトップランナー「茎ブロッコリー」(別称 スティックセニョール)の頂上花蕾の写真です。
 「茎ブロッコリー」は 頂上花蕾が500円硬貨ほどになれば 早めにそれを取ることで 脇芽の生長を促進させます。
 脇芽の茎が15センチほどになると 花蕾と茎とを同時に収穫します。 茎が柔らかく アスパラガスの風味が有る と言うキャッチフレーイズで 人気急上昇中の野菜です。 農園でも年々「茎ブロッコリー」を植える方が増えて 普通のブロッコリーを凌ぐ勢いです。
 
 7月末にポットに種を蒔き 夏の一ヶ月を黒寒冷紗の下で育苗して 定植しました。 苗が活着すると すぐに化成肥料を撒いて 肥料分を十分にして 株を大きく育てました。
 頂上花蕾を穫った後にも 2回目の追肥をして 脇芽の発生と生長を促します。
 これから春まで 次々と脇芽が伸びて 青物の少ない時期に重宝な野菜です。

 こちらは 5月の初めに定植して以来 6ヶ月近くも畑に根を下ろしているベテラン「福耳」の現在です。
 7月17日付け「大型トウガラシ」で 紹介しましたが 唐辛子とピーマンの交配種で 大変な多産系です。
 今年は 大型スーパーでも満願寺唐辛子と並んで 見かけるようになりました。

 6月の中頃から収穫が始まり 以来 今日まで ほとんど休むこと無く 一個が20グラム近い大きな実を穫り続けています。
 現在 実が生っているのは 写真でご覧の通り 地上2メートル近くの高さで 背伸びをしながら穫っています。
 写真を見ていますと 株が古くなるに従って 実の外形が変わってきている様に思います。 始めは 片親の唐辛子的でしたが 最近はズングリムックリのピーマンに似てきました。 血は争えません。
 また 夏の間 高温と乾燥が厳しい頃の実は 猛烈な辛さで 料理で種と白いワタを取る時は 指がカプサイシンで赤くなることもあるほどでした。 従って 夏の暑い間は 収穫の都度 液肥をたっぷりとやり かつ 実を若穫りするようにして 辛味を抑制するように努めました。 最近は 涼しくなって 実の生長も遅くなりましたし 辛さもマイルドに戻ってきました。
 株は まだまだ元気で 葉は虫食いも無く青々し 枝の先に白い いい花が咲いています。
 もうしばらくは 現役で頑張りそうです。

土曜日, 10月 25, 2008

「霜降」の 秋ナス


秋も「霜降」に入りました。 東北や東日本の内陸部では 露が霜となって降り始める季節でしょうが このところ 東京の最低気温は15℃以上で 霜が降りるとは思えません。
 また 東北 平泉の毛越寺(モウツウジ)では境内の松に 「菰巻」作業が始まった との記事が載っています。 中国では この節季は 虫が皆 穴に入って動かなくなる と言われています。 そろそろ東京でも 畑の虫は影を潜めて欲しいものです。

 毎年秋ナスはこの「霜降」の時期まで 花を咲かせ 実を生らせます。 花の色・形は貧弱ですし 夏の何倍もの時間が かかっても その割に実は大きくなりません。 そのうえ ナス独特の輝きと張りもありません。 しかし その生真面目な姿勢には 惹かれるものを感じます。
 黄昏の光の中で 秋ナスの写真を撮りました。

 ナスの後は この秋 最後の葉物野菜 カラシナや ターサイや 小松菜など の種を蒔きます。
 東京の11月初旬は 穏やかで 日差しが結構あります。 ここ5年間の統計を見ても 最高気温の平均は20℃を越えていますし 最低気温が10℃を下回ることはまずありません。 従って 葉物野菜の種を蒔いて ベタ掛けをしておくと 揃って発芽し 大寒の過ぎる頃には 一年中で最も美味しい葉物が収穫出来ます。  

水曜日, 10月 22, 2008

神代植物園の秋バラフェスタ


深大寺は 奈良時代に創建された 東京では浅草寺に次いで古い歴史を持つたお寺です。
 この周辺は 江戸時代には 深大寺村と呼ばれていました。 明治時代に近隣の4村が合併して新しい村が出来ることになり その村の名前をめぐって 現在の市町村合併の場合と全く変らない争いがありました。 結局 「ジンダイ」と発音が同じ「神代」の字を宛てる事で決着し 新しい村「神代村」が世に出ることになりました。
 今になると この「神代」の呼び名が残っているのは この「神代植物園」のみで 紛らわしい表札です。
  
 上の写真は神代植物園 バラ園の全景です。 フランス庭園を思わせる 整然としたレイアウトになっていて この左手は深大寺の境内に続きます。 また 右手には白い藤棚の柱が並んでいますが 春の連休前に来ると 見事な藤の花が見られます。  
 この日は 杉の樹24期の皆さんと 秋バラを見に来ました。 この秋一番の日和に恵まれて ウイークデイにもかかわらず 大勢の来場者で賑わっていました。

 このバラ園には 約5,000本のバラが植えられているそうです。 選りすぐられた 世界中の名花ばかりですから 目移りがして キョロキョロします。
 各バラには 名札が付いていて バラの名前と 作り出された年次と 作り出した国と どんな系統に属するバラかが 記載されています。
 右の写真の表札には [ 錦絵(Nishiki-E) 1981 日本 F ]と書かれています。
 デジカメで花の写真を撮る時は 曇り空の方が 花の色が出易いようです。 当日は 快晴過ぎて 順光ではハレーションを起こし 逆光気味では 花の表面の色が出ないで 思うようにはまいりませんでした。 30枚近いバラの写真を撮り 何時もの Picasa アルバムに掲載しました。 このブログの右の Links欄の「 Picasaアルバム」をクリックしてご覧下さい。

木曜日, 10月 16, 2008

軒端のゴーヤ


雨上りの庭に出ると 軒端にゴーヤが ぶら下がっていました。
 ゴーヤが植えられたプランターから この位置までは直線距離で 4メートルはあります。 いつの間にか一本の蔓が 椿の枝に巻きついて伸び 椿の茂みの中で花を咲かせ 受粉もできて 実になったのでしょう。 そして 雨に濡れて滑り易くなった 椿の枝は 重くなった実を支えきれなくなり 滑り落ちてきたのでしょう。

 2ヶ月ほど前にもご 紹介しましたが このプランター栽培のゴーヤは 8月に入って収穫が始まり 以来 今まで休みなく採り続けてきました。 庭を歩いていて 大きな実を見つけると採り 食卓のニーズに応じて都度 採ってきました。 今迄 幾つぐらいのゴーヤが採れたかも 定かではありませんし その間 月に2回程 化成肥料をパラパラと撒き 土が乾いていると水をやるだけで これと言った世話もしていません。 
 ゴーヤの種を貰った鹿児島の友人に 以前 ゴーヤ栽培について 蔓の剪定方法などを聞いたところ 答えは「ゴーヤは 夏の西日を遮る為に植えてあるので、剪定などは やったことはない。 昼の御菜に 何か欲しい時は 行って採ってくるだけのことよ。」との返事でした。
 このプランターのゴーヤに対する意識は 大袈裟な言葉を使うと「農耕」ではなく「採集」です 生っているのは 素直に 採っていただきます。

金曜日, 10月 10, 2008

ドライフラワー


ハーブのオレガノに対して 花オレガノ と呼ばれる観賞用のオレガノ ケント ビューティーをドライフラワーにしました。
 香辛料に使われるオレガノに比べると 香りはほのかですが こうしてドライフラワーにすると いい香りがします。
 部屋のあちこちに このドライフラワーを 盛り上げて置いてあるだけで その部屋のドアーを開けたとたんに オレガノの香りが漂って えも言われぬ 癒された気分になります。
 秋晴れの日が続いて 空気が乾燥すると このドライフラワーの香りが一層心地よく感じられるのも不思議なことです。 オレガノの原産地が乾燥した地域であることと 因果関係があるのでしょうか。  

 7月の中頃 ドライフラワーのために枝を切り詰めました。
 右の写真は 枝を切り詰める前のオレガノ ケント ビューティーです。 
 ご覧の通り 鉢から無数の枝が15~20cmほど 垂れ下がって そこにホップに似た苞が発達しています。
 この苞が 白・緑・ピンクなどに色づいて きれいなスダレのように見えます。
 また オレガノは高温多湿に弱いので 水はけの良い土を 8号のテラコッタ鉢に詰めて 鉢植えにし 日当りの良い 雨の当たらない場所へ移動しながら育てています。 

 苞には ピンク色の小さなかわいい花がたくさん咲きます 下の写真がその花の一つをアップして撮ったものです。(写真をクリックすると大きく見えます)
 7月頃のようには咲きませんが 今の時期でも枝の先に ちらほらと花は咲いています。
 これから秋が深まると 葉が赤く色づき これもまた風情があります。
 今秋は 鉢に挿し芽用の土を詰めて 挿し木をしてみました。 果たして 何株がまともに育つか?楽しみです。 

土曜日, 10月 04, 2008

白菜・大根に追肥

 10月に入って 乾燥した 秋らしい日が続き 白菜や大根も 気持ち好さそうに生長しています。

 今年の白菜は ポットで苗作りをする適当な場所が無く 初めてリスクを冒して 直蒔きをしました。
 途中 本葉が出た段階で 虫に食われる御難もありましたが 始めから種をたくさん蒔いてありましたので 全滅は免れました。 生き残った株を選別しながら 一本立ちにする頃から 急に逞しくなり 大きな葉を太陽に向かって広げる白菜らしい姿になってきました。
 追肥は 葉を痛めない様に慎重に マルチの下に手を入れて 葉の先端辺りを半径にして 株の周りに ぐるりと円を描き そこの土を掻いて888化成肥料を 1株当たり半握りほどづつ撒いて 土に混ぜました。
 白菜は種を蒔く前の 土作りの段階で 畝全体と 株の下にたっぷりと元肥を入れてあります。 従って この一回の追肥で様子を見ます。
 写真の早生種はこの追肥で 多分結球に入ると思います。 中生種の場合は 結球の前にもう一度軽く追肥をすることになるでしょう。
 最後まで トンネルの中で育て 夜盗虫の侵入に警戒します。 また 結球が始まると 根元の過湿や 土の跳ね返りで シリ腐病や軟腐病に罹り易くなりますので 特に注意しています。 

 左の写真は 聖護院大根です。
 9月に入って 元肥もあまり入れないで 一カ所に7〜8粒の種を蒔いて それ以来 一ヶ月の間 大根には あえてひもじい思いをさせてきました。
 防虫網のトンネルでしっかりガードをしていましたので 虫食いもあまり無く 本葉が10枚ほどに生長しました。 また 根も白く 大根らしくなり しっかりしてきました。 
 追肥は マルチを少し開いて 固くなっている土の表面を軽く中耕・土寄せをして 周りに 888化成肥料をぱらぱらと撒いて 土を被せただけです。
 収穫まで トンネルの中に入れておくと 特に 手を入れることもなく 肌の奇麗な聖護院大根が出来ます。
  つくずくと 大根は丈夫な作物だと思います。

土曜日, 9月 27, 2008

街路端の花々

この秋初めて 抜ける様な青さの空が広がりました。 この青空は 農園の秋野菜を 順調に育ててくれるでしょう。
 農園に行く街路端のあちこちで見かける花々も この明るい日差しと 響く様な空気の中で 気持ち良さそうです。
 その花々の いくつかの写真をアップします。
 
 まず 始めの写真は 夏の間中 咲いていた ルリマツリです。
 ルリマツリは白花とブルー花がありますが このルリマツリはブルーの花です。
 春から どんどんと枝を伸ばして 夏を越すと 背丈よりも高くなり 生垣の上にまで花を咲かせています。
 下から花を見上げると 秋の空も 今日は ルリマツリの保護色で広がっています。

 何時も 通る道に板塀の庭があります。 右の写真は その板塀の裾から顔を覗かせて 一列に並んで咲いているタマスダレです。
 づっと以前から咲いていたのでしょうが 見過ごしていました。 彼岸も過ぎて 太陽の位置が傾き 道路沿いのタマスダレに陽が当たるようになり 今日は 真っ白な花が連なって咲いているのに目を奪われました。
 タマスダレは彼岸花と同様球根ですから ここのタマスダレも 長年の間に株が増えて 道路沿いにビッシリと敷き詰めたような 見事な花壇になったのでしょう。 真っ白な花の群れと 焦茶色の板塀の取り合わせは 和風の趣です。 

 左の写真は 駐車場のコンクリートの僅かな継ぎ目に 根を下ろして広がっているヒメツルソバです。
 さすがの強靭なヒメツルソバも 夏の間中 直射日光を受け また 焼け付いたコンクリートに挟まれて さぞかしダメージを受けたことでしょう。
 しばらく花を見なかったヒメツルソバも ここに来て 秋の風が吹き出すと ぽつぽつと 花を付け始めました。
 これから涼しくなると 空いているコンクリート一の表面を ピンクの厚いカバーで覆うようになります。 

 建物の陰に 一輪の彼岸花が咲いているのを見付けました。
 丁度 陽の光が 彼岸花をスポットライトでライトアップしているようで 暗い背景の中に 一輪の彼岸花が浮かび上がって見えました。
 近づいて見ると 彼岸花の細いヒゲが メタリックな輝きで 四方にピンと広がっています その感じをデジカメで撮りました。
 たまたま 今日は 一輪の花で 注目を引きましたが  年が経る間には この街路端で 仲間を増やし 秋の彼岸には多くの花を咲かせて 人の目を引いているかも知れません。

日曜日, 9月 21, 2008

端境期の野菜


9月は 野菜も端境期です。
 今は 畑で収穫の対象になる野菜は 1株のナスと 4株づつのトウガラシ2種類だけです。

 この3日間は 前線が停滞して そこに台風が 南岸沿いをゆっくりと東進する気圧配置でした。
 連日 鬱陶しい空模様が続いて 時々急に激しい雨が降りました。 従って 農園にも出られず 種蒔きした白菜や大根のことが気になっていました。
 やっと 青空がのぞいた束の間に 長靴を履いて様子を見に行きました。
 白菜の苗は 今 本葉が4〜5枚ほどの段階です。 中には コナガの幼虫による小さな穴の空いている葉がありますし 雨に打たれて傾いている株もありますが 総体的にはまずまずでした。

 しかし この3日の間に 2種類のトウガラシとナスの実は大きくなり 房に成って雨に濡れ 重そうに垂れ下がっています まずは この収穫をしました。
 終わってみると シシトウ2種類だけで レジ袋 2杯分もありました。 ゴザに広げてみて このドカ穫れをどうしたものか?と 思案しています。
 豊作貧乏と言う言葉がありますが 来年は シシトウ類の植える株数を減らして 消費量に見合った収穫が続く様にすることと この端境期を埋めるのに適した シシトウ類以外の野菜を検討して 夏から秋にかけての作付け計画を見直さねば と思っています。
 

木曜日, 9月 18, 2008

秋野菜の苗作り


8月の終りに定職した カリフラワー・ブロッコリー・茎ブロッコリーがしっかりしてきました。

 例年 カリフラワー等これらの苗は 7月の終りに ポットに種を蒔き 畑の一角に黒寒冷紗でトンネルを設けた苗作り場で育てていました。 しかし 今年は 畑が遠くなり  ポット苗の世話をするのは大変だと思い ポットを使わないで 苗を作りました。
 梅雨明けの最も暑い時期の 種蒔き 苗作りで 最も神経を使うのは「高温対策と防虫」です。 従って 種を蒔いた直後から 高さ50cm以上のトンネルを作り 防虫網をしっかりと張り その上から黒色の寒冷紗を被せ その中で育てました。
 筋蒔きした種は2〜3日で揃って発芽し 間引きながら 株間 7~8cm にして 本葉が 4~5枚になったところでフォークで根を切らない様に掘り上げ この場所に定植しました。 ここは元トマトが植わっていた畝で トマトのマルチをそのまま再利用し 両サイドのトマトの植穴と 畝の中央に千鳥に一筋 計3筋植えました。
 トンネルは2連にして 2m 巾の防虫網2枚を合わせて 高さが 70~80cm とれる背の高いトンネルを掛けました。 更に 強い日差しを避けるために黒寒冷紗で覆ってあります。
 10日ほど前に 追肥・土寄せを終えると ブロッコリーらしい姿になってきました。

 もう一つ 白菜の方も ポットでの苗作りを止めて マルチに 50cm の間隔で丸い穴を空けて 7~8粒の種を蒔きました。 
 ところが芽が出揃うと 早速正体不明の虫がやってきて 一夜の中に 一穴の芽がペロリと食われてしまいました。 被害の受けていない穴の株を移植し 全ての蒔き穴のマルチの下に「ネキリトーン」を蒔いて 虫に対するバリアーを施しました。
 しかし これから涼しくなると 雑草の葉を食い尽くした凶暴な夜盗虫の類いが大挙して押し寄せて来ます。 そうなると 軟らかい白菜はひとたまりもありません。 いかに地上の防御をしても 彼らは土の中を潜って マルチの下から侵入して来ます テロの様なものです。
 後一ヶ月ほどは 虫に対しては油断が出来ません。 

日曜日, 9月 14, 2008

震度7の体験


85年前(1923年)の9月1日 11時58分に M=7.9 の「関東大震災」が起こりました。
 この地震発生のメカニズムは フィリピン海プレートが相模トラフに沿って 三浦半島・房総半島や神奈川・東京の載っているプレートの下に潜り込むことによって 上側のプレートに歪が蓄積し 歪が限界になった時点で復元するときに発するエネルギーが地震の原因と言われています。
 同様のメカニズムによる地震は 元禄16年(1703年)11月23日にも M=8.2 の「元禄地震」が起こって 関東大震災と同様江戸の町に大きな被害を与えたとの記録が有ります。

 関東大震災による家屋倒壊の被害は 東京でも築地・日本橋に代表される下町に集中していました。 理由は 一万年にも満たない新しく軟らかい沖積層の上に建物が建っていたからです。  杉並区を含めて 東京都23区の 山の手 と言われる所は 10万年以上も前の洪積層とローム層の比較的しっかりしている地層ですから被害は下町に比べると軽微でした。 
 とは言いましても 地震大国日本のこと「東京直下地震」とか「東南海地震」とか「関東大震災」とは違ったメカニズムによる 震度6強クラスの地震が何時起こるか判りません。 防災の日に因んで 下町 墨田区本所にある防災教育センターで 震度7の地震体験をして来ました。

 上の写真は 地震発生装置で震度7のゆれを起こさせ 体験者は事前に教えられた通り 先ずテーブルの下に潜り込み テーブルの脚や天板にしがみついている様子です。
 震度7のゆれは 前後に20cm 左右に20cm 上下に5cm 動く中に身を置く体験です。 体が振り回されテーブルの脚と天板を捕まえている腕が どうにかなりそうな激しさです。 阪神淡路大震災の体験談で「本棚の分厚い本が 渦を卷き乍ら飛んで来た」と言う言葉が 実感として よく判りました。
 係の方の注意事項は「①揺れが来たら 先ずしっかりしたテーブル等の下に身を隠し 落下物を避ける。②揺れが収まったら 火の元を確かめ 燃えていれば大声を出して周囲に火災を知らせながら 火を消す。③避難出口を開けて 退避出来るようにする。」と言うことでした。

 この防災センターには 地震体験の他に 消火体験 煙体験 暴風雨体験 3次元の地震映画があり 一通り貴重な体験をして参りました。
 右の写真は 消火体験のシーンです。
 左側に実物大のモニターがあり モニターの中央に火の手が上がると 各自は「火事だー」と叫び 消化器を持ってモニターの前2メーター程のラインに進みます。 消化器の栓を引き抜き ハンドルを握って実際に水を炎にかけます。 水が炎にかかるのをモニターは感知して 十分な水がかかると火が消えて「消火完了」の字が表示されます。
   

月曜日, 9月 08, 2008

秋らしくなって


鉢植のベロペローネ(和名 コエビソウ)の花にも秋の風情が感じられます。 赤褐色のエビの尾のような部分は苞で 花はその先の白いところです。 
 不安定な気圧配置も解消し 大陸の高気圧に覆われて 一挙に 秋らしくなってきました。
 農園でも 選手交代の時期になっています。

 まず 剪定ナスは数日前から 秋ナスが取れ出しました。
 度々書いていますが 今年の剪定は比較的マイルドな剪定をしたので あちこちの枝で花がたくさん咲きました。 一度に数個の秋ナスが取れると なんだか秋ナスの値打ちが下がったような気がします。
 先日 隣の畝に白菜を植えるべく スコップを入れたところ ナスから1mほど離れた所にまでナスの白根が伸びているのに驚きました。 この調子ですと 秋ナスは期待出来かも知れません。

 白菜はポットでの苗作りを止めて 直接種を蒔いてみました。 また 白菜の端に 聖護院大根も種を蒔きました。
 共に 本葉が出始めた段階です。
 双葉から本葉が出始める頃に コオロギ バッタの類いや その後 ヨトウムシの攻撃も受けるでしょうから どの程度 まともな株が育つか?は疑問です。
 
 先月末に定植した ブロッコリーやカリフラワーも 元気に成長を始めました。
 今年は やや欲張って 茎ブロッコリーを10本も植えました。 
 第1回の追肥と除草・土寄せも終え 支柱建てもしました。
 マルチ掛けと 防虫網のトンネルは掛けてありますが これから暫くは 虫への警戒が必要です。 

 その他 春菊・ほうれん草・小松菜 など葉物は 場所が空いたら 徐々に種を蒔く予定です。

土曜日, 8月 30, 2008

剪定ナスの花が咲く


「秋の一日遅れは 春の十日に匹敵する」と言われます 一日でも早く秋野菜を と焦る気持で 雨が上がるのを待ち侘びて畑に出ると 突然 雷鳴が聞こえ 道具の泥落しもそこそこに 引き上げるはめになります。 車での通園は禁止 自転車で飛ばしても片道に20分 その間に雨粒は大きく激しくなって びしょ濡れで帰って来ます。 その様 急な雷雨に 最近3回も遭いました。
 今年は梅雨明けの時も オホーツク海の高気圧が何時迄も強く 梅雨前線が縦に停滞して 西日本は真夏の太陽が輝き 東日本は何時までもすっきりしない日が続きました。 このオホーツク海高気圧がいまだに頑張っているために 関東の夏の天候は不順が続いています。

 梅雨明けのすっきりした夏空を待って 例年は7月中に行っていたナスの剪定を 今年は 8月10日に行いました。 
 通常は 3本仕立の各枝の最下段 一芽だけを残して それ以上は切り取る 文字通の強選定をしますが 今年は剪定が遅れたこともあり 3本仕立の各枝とも数個の芽を残した軽い選定にとどめました。
 上の写真でご覧の通り 選定で残した全ての芽から脇枝が伸びて すぐに小さな花が咲き始めました。 この色形が貧相な花々には まともな実が着くでしょうか? 花は咲いたが気にもなります。

 また 軽い剪定で芽を複数に残しましたので 新枝がたくさん出て 右の写真でご覧の通り ブッシュ状の姿になり 剪定前の3本仕立の面影は見られなくなっています。
 この姿で 各枝は秋の何時頃まで実を着けることが出来るのでしょう? もう1度 剪定して枝の数を減らす様なことにならないでしょうか。


 さて 暑さと 雷雨で 延び々々になっていた ブロッコリー・カリフラワーの苗は トマトを片付けた跡地にやっと植え終えました。
 定植遅れでヒョロヒョロ苗になり 根の状態も芳しくありません。 定植した後 根の気付薬(過燐酸石灰を500倍の水で溶かしたものを そう称しています)を一株当り2カップ程づつ 根が土に馴染むように 株元にゆっくりと潅水しました。
 防虫網のトンネルを高く張り その上から日除けの黒寒冷紗も張ってあります。

日曜日, 8月 24, 2008

「鷹の爪」と「福耳」


庭の梅の花がやっと咲き始めた3月9日に 大型トウガラシ「福耳」と 辛味用の「鷹の爪」と 甘トウガラシの「伏見甘長」の トウガラシ3種類をポットに蒔き 温室で育苗しました。
 5月の初めに畑に定植して「福耳」と「伏見甘長」は幼果取をするので 1ヶ月程で収穫期に入りましたが 「鷹の爪」は赤くなるまでに2ヶ月半かかりました。

 3年前の8月20日付け「唐辛子物語」にアフリカ ギニアの激辛トウガラシのことを書きましたが 世界中にはいろんなトウガラシがあり その辛味を表すスコヴィル単位では 「鷹の爪」の数十倍から百倍も辛いトウガラシがあるそうです。 その年は トウガラシ先進国韓国のトウガラシ「熱風」を栽培してみました。 「熱風」はいい実が沢山取れましたが 陰干しをして置いておくと 韓国産の粗挽きトウガラシの様な奇麗な赤色にはならないことや 「鷹の爪」は切った時の姿がいいとか あれやこれやと好みがあって「鷹の爪」に戻りました。

 「鷹の爪」に隣り合わせで「福耳」を植えています。
 「鷹の爪」の辛味が 伝染するかを案じていましたが 辛味は 過乾燥や肥料不足によるストレスの影響が大きい様です。 現に 梅雨明け前に比べますと 格段に辛味が増し 私の辛味限度一杯迄きていますので せっせと液肥をやっています。 
 「福耳」は ご覧の通り 現在は鈴なりの状態です。 6月の20日頃から 本格的な収穫が始まり 現在迄の2ヶ月の間に1株当たり百個以上の収穫をみています。 形・大きさは「幻のトウガラシ万願寺」に似ていて 共にトウガラシとピーマンの交配種のようですが 作り易さ等からみても 両者は別物のでしょう。
 「福耳」は種とワタが辛いので これを取り除いて食べています。
 前にも書きました「青トウガラシ味噌」は作り貯めをして常時冷蔵庫に入っています ぴりっと辛味はありますが ピーマン代わりにも使えて 結構便利なものです。

水曜日, 8月 20, 2008

残暑厳しい中で片付


 朝から夏空が広がり 真夏の太陽が照りつけました。
 百日紅の花房が大きくなって 暑さを歓迎しているかのやうです。
 赤い花房の向こうに 入道雲の頂上がエネルギッシュに輝いて 今日も残暑が厳し一日でした。
 熱中症予防のために 冷たい飲み物を用意して やっとの思いで トマトと胡瓜の片付けをしました。

  今年の トマトと胡瓜を振り返ってみますと:
 今年初めて種を蒔いた 中玉トマト「フルティカ」は そのまま食べても美味しいし ドライトマトにしても好評でしたので 来年は もう少し多く収穫したいものです。
 実は「フルティカ」を定植する時に 過って3株の中の1株の芯芽を折ってしまいました。 止む無く 摘み取っていない脇芽を生かして3本仕立として育てることにしました。 今までトマトは全て 脇芽は小さい時に摘み取って 1本仕立でしたので この機会に「フルティカ」の1本仕立と3本仕立の比較をしました
 初めの内は3本仕立の収穫数は上がりませんでしたが 途中からは3本仕立の方が常に上回り 最終的には 1本仕立は1本当り110個に対して 3本仕立は約250個で2倍以上の収穫数でした。 色形 食味に違いはありません 来年の「フルティカ」は 始めから3本仕立のつもりで 場所の確保 支柱の準備 追肥 などを考えたいと思います。

 胡瓜に関しては 特記事項はありませんが 春の時点で 畝の半分にスナップエンドウが植えてあり 初めてのことでしたが そこに1株だけ植えてみました。 若し 不測の事態が起こると 胡瓜の無い夏を迎えねばならない リスクは有りましたが 幸いにして例年並みに推移し 毎日3〜4本は収穫が出来て 自家消費分はまかなえました。 
 都会での 家庭菜園では 限られた耕地面積の中で 広い面積を独占する 胡瓜の様なツルモノは 最低限の栽培本数が望ましいので その意味では実績が得られたことになりました。  

金曜日, 8月 15, 2008

佃祭り


8月も中旬になると 菜園では トマト・胡瓜はほぼ収穫が終り ナスは強剪定をしましたので 今月一杯はお休みです。
 一方 先月種播きをした カリフラワー・ブロッコリーの苗は 本葉が3~4枚になり 早くも定植の時期を迎えています。 
 カリフラワー・ブロッコリーはトマト・胡瓜の跡に植えますので まずトマト・胡瓜の片付けをせねばなりません。 ところが この暑さに なかなか腰が上がりません。 8月は 一年の中で最も苦手な月です。

 さて 隅田川の中州にある佃島は 現在の行政区画では東京都中央区に属していますが 歴史的には徳川家康が幕府を江戸に置くにあたり 本能寺の変の時にひょんな事から世話になった 攝津国佃村の漁民約30名を江戸に招き 今の佃島に住まわせ 江戸近海での優先的漁業権も与えて保護したのが起源と言われています。 
 移ってきた漁民達は 攝津の国の住吉神社から分霊して 名前も同じ住吉神社を1646年に現在地に創建し 佃島の鎮守として崇めました。  斯くのごとく 強い絆で結ばれたコミュニティーが ここ佃島には300年以上も連綿と続いています。
 また 佃島は戦時の東京大空襲の被害も受けず 関東大震災以降に建てられた家々の連なった街並みが そのまま残っていまます。 昔懐かしい戦前の露地がいたる所あり 窓にはスダレが掛り 風鈴の音が聞こえて 80年前にタイムスリップしたような感じになる街でもあります。

 今年は3年に一度の住吉神社の大祭「佃祭り」が 古式に基づいて8月の1日~4日の間に執り行はれました。
 連日ともに猛暑日でしたが 区の生涯学習講座同期の皆様方のお誘いを受けて 最終日の午後に 行って参りました。
 地下鉄 月島駅を出ると 広重が描いた絵と同じ大幟が夏空にはためき 家々の軒先には粋な祭提灯が飾られ 祭衣装の老若男女と 見物人が街に溢れ 街のあちこちでは大小様々の神輿や山車太鼓がねっています まさに祭一色でした。
 聞くところによりますと 佃祭りの神輿は 町内に住む10代の男女の子達から 20代 30代の男女は勿論 50代 60代の男女が主体となって 和気藹々として担がれているのだそうです。

 暑い半日でしたが 今の世に失いかけている 人々の熱いものを 確かめられたような気がしました。
 日が暮れて涼風を感じつつ 築地市場で新鮮な刺身をつつき 満足して家路につきました。 
 なお 当日の写真は 右のLinks欄の 「Picasaアルバム」をクリックして 現れる「佃祭り」でご覧いただけます。(地図もご覧いただけます) 

土曜日, 8月 09, 2008

プランターのゴーヤ

 連日の暑さで パソコンの方がダウンしてしまいました。
 早速AppleStoreにパソコンを運び込んで診断を受けた結果 ハードディスクを取り替える事になりました。
 平素 こまめにバックアップを取っていないツケがきて 全てのデーターが消えてなくなってしまいました。 そのようなことで 暑いさなかに走り回り しばらくブログの更新も空いてしまいました。

 さて 友人に頼まれて作ったゴーヤの苗ですが 予備の苗が1ポット余りました。
 農園には植える余地がないので 自宅で空いていた大型プランターに 6月の中頃植えました。
 90センチ程の プランターの巾いっぱいに 背丈程の竹を立てて支柱を作りました。 狭い場所なので あまり大きくは仕立られず 本葉5枚で芯を止めて 出てくる子蔓も 支柱の領域からはみ出すと芯を止めて こじんまりと作って来ました。
 始めのうちは 雄花ばかりが咲いて 雌花はなかなか現れません 梅雨が明けて気温が高くなって やっと 雌花が咲く様になりました。
 写真では 3個の実が見られますが 他に 葉の陰に着いている小さな実を合わせると 現在は8個の実が着いています。
 1週間ほど前に 一番果は収穫しました これからもプランターのゴーヤが戴けそうです。

 「気紛れゴーヤ」と言われるほど ゴーヤの雌花の着き方には規則性が見られませんが 今回実が着いている場所を見ると 芯を止めたその2~3節下の所に着いている実が3果もあります。 
 花芽の分化は 芯を止めた時よりもずっと前に 既に決まっているのでしょが 偶然に止めた芯の所に雌花が咲いているのを見ると「先が短くなったので あわてて子孫を残した」と 甚だ 人間的な法則性をこじつけたくもなります。

金曜日, 8月 01, 2008

中玉トマトで作ったドライトマト


 中玉トマトフルティカは ミニトマトと比べると 皮が薄く 甘味があって美味しいので 生食で食べられてしまい ドライトマト作りに必要な数のフルティカは貯まりませんでした。
 ここにきて 収穫数が増えて ご覧のように約50個が貯まりましたので 昨年までのミニトマトに替えて 中玉トマトでドライトマトを作ってみることにしました。
 ドライトマト作りのもう一つの条件は 真夏の太陽による天日乾燥です。

 澄んだ空を背景に 高い雲が夕日に輝いていました。 翌日は朝から 真夏の太陽が期待出来そうです。
 早速 夕食後にドライトマト作りに取りかかりました。
 トマトはヘタを取って横半分に切り オーブン皿にクッキングシートを敷き 切り口を上にして並べ 軽く塩とオリーブオイルを掛けます。 オーブンは110℃に設定して 45分間熱風乾燥します。 終わったら15分間余熱乾燥をし もう一度110℃に設定して 45分間熱風乾燥し終ったら翌朝まで放置します。

 朝 2階のベランダに遣い古した乾燥篭を設置し トマトを並べて 防鳥対策のテグスを張って 丸一昼夜自然乾燥をします。 
 乾燥後 アラ熱が取れたら 3等分(一回の使用量見合分づつ)して袋に入れて冷蔵庫で保存します。 これで 半月ぐらいはもちます。 より大量に長期保存をする時は 冷凍保存します。
 さてドライトマトが出来たので 早速 恒例の「ドライトマトとニンニクのスパゲッティ」を作りました。
 このスパゲッティ料理は タップリとかけるソースの味でつるつると食べるのとは違って ニンニクとドライトマトの味と旨味をからませた 堅めのスパゲッティをシコシコと食べる料理ですから 色や堅さやタイミング等に気を配って作っています。(分量は3人分です)
  スパゲッティ(1.6mmφ)210g 
  ドライトマト60個(トマト30個分)は見た目のきれいなドライトマトをトッピング用に数個残して その他は包丁で細かくたたいておく
  ニンニク(チップ用)4片を薄切り
      (ソース用)1~2片をミジン切り
  鷹の爪 1本を3~4片に切り 種を取っておく
  バジルの柔らかい葉を 好みの枚数   
(作り方) 先ず にんいくチップを作ります。薄切りにしたニンニクを オリーブオイルを敷いたフライパンに入れてニンニクを焦がさない様に 色よくカラット揚げ ニンニクだけをペーパーの上に取り出してカリカリにさせます。
 次にソース作りにかかります。 チップを作った後のフライパンに オリーブオイルを足して ニンニクのみじん切りを入れ 香りがたったら 鷹の爪1本を加えます。
 ニンニクの香りと鷹の爪の辛味が オイルに出たら 鷹の爪を取り除き ミジン切りのドライトマトをフライパンに入れて ドライトマトの香りと甘味をゾースに移します。 ただしニンニクは焦さない様に フライパンを火から上げ下げしながら ほぼソースを仕上げ 一旦火を止めておきます。
 一方たっぷりの湯を沸かした鍋で スパゲッティを塩茹でします。(堅いスパゲティが好きなので絶えず堅さを確かめながら茹でています)
 途中で ソースに火を入れて 茹汁を お玉半分程 フライパンに加え 味が移ったオリーブオイルとよく混ざり合った状態にし 塩胡椒で味を整えてソースを仕上げ そこに 茹あがったスパゲッティを加えて 手早く全体にソースをからませます。
 香りのよい生食用のEVオリーブオイルをたっぷりかけて更にからませ バジルの葉を加えて皿に盛り分けます。 飾り用のドライトマトとニンニクチップをトッピングして戴きます。
 昨年までのミニトマトによるドライトマトと比ますと 中玉トマトのフルティカで作ったドライトマトは 甘さと言い コクと言い 格段の差がありました。 大満足して 来年は中玉トマトの苗作りを増やさねば と思っています。