水曜日, 11月 28, 2007

芋掘り



 「霜が降りて 里芋の葉が枯れてきたら掘ればいい」と聞いていましたので 試しに2株の里芋を掘りました。
 初めての里芋堀ですから まず どのような形でイモが付いているのか? を見ておくために 周りの土を少しずつ テレビで見る古墳発掘紛いの手付きで 慎重に取り除きました。
 ほぼ全体像が現れた段階で写真を撮りました。 曇り空の夕方でしたし 土まみれの冴えない被写体ですからすっきりした写真にはなりませんでした。 里芋作りの私の先生である農園仲間からは「初めてにしては 上出来だよ」とお褒めの言葉を貰いました。
 持ち帰って 土を落として ばらしてみると ゴルフボール以上のイモが1株当り 30~40個 付いていて 目方は 3kg 前後でした。
 今年の経験で 里芋作りについて本には書いて無い二つのことを学びました。
 一つは 台風シーズンに入る前に 大きくなったイモの葉が強風で倒れない様に手を入れること。 もう一つは 土寄せの際に空洞が出来ない様 しっかりと土寄せすることです。 当然の事乍ら空洞の所にはイモは出来ませんから。

 今年の春3月過ぎてから陽当たりの悪い区画が当選し 里芋を植えてみることにしました。 その為 種イモの調達にあちこち探して回り 結局10個の種イモを植えるのに なんと4種類もの異種類の種イモを混植することになりました。
 余談ですが 今回掘ったイモの種芋は近くのスーパーで2袋 500円で買った袋の中から取り出したものです。 里芋を買う時にスーパーの店長に「このイモを植えてみようかなー?」と言うと 店長は「芽が出るかなー?」と首を傾げていたことを思い出して 収穫の報告をしましたら さすがは商売人「40分の1とは言わないが 安く卸してもらえませんか?」との答えに大笑いしました。 

土曜日, 11月 24, 2007

今年も写真コンテストに入選


 今年はアーティチョークの花の写真が入選しました。
 恒例の農業写真コンテストに 今年「菜園ブログ」に掲載した写真の中から3点を選び A4判に拡大して応募したものです。
 区役所の玄関ホールに展示されていましたので見て来ました。
 入選した写真は7月9日付けの「アーティチョークの花」をクリックするとご覧いただけます。

 この秋一番の寒気が南下して 農園でも霜が降りる寒い朝が続いています。これでホーレン草や小松菜の味がぐんと良くなるでしょう。
 10月に入ってから種を蒔いたこれらの葉物野菜も 防虫網のトンネルの中では窮屈になってきました。 虫の姿もめっきりと少なくなりましたので トンネルを巻き上げ陽の光を一杯に当ててやりました。
 今日は午後になると風も無く 暖かい日差を受けてホーレン草や小松菜も気持良さそうです。 その様子を写真に撮りました。
 小松菜は既に2回 大きな株から収穫しています ホーレン草も株の張りが良くなって来ましたので ストウチュウをもう一度撒けば 12月の始めには収穫出来るでしょう。
 これからは小松菜・ホーレン草の他 大葉の春菊・からし菜・チンゲンサイ・ターサイ等が次々に収穫期に入ります。

土曜日, 11月 17, 2007

カリフラワーの花蕾


 早生のカリフラワーは 早い年には11月の中頃に収穫しています。 今年は 2回目の追肥が少し遅れ その後 葉が大きくなり過ぎたので 草ボケで花蕾が出難いのでは? と気になっていました。
 このところの風邪気味や旅行などで一週間ぶりの農園になりました。 農園に着くと先ずカリフラワーの葉を掻き分け中をのぞいて見ました。 ご覧の通り大きなメロンパン程になっている花蕾が見えました。 すぐに大きな外葉を集めて紐で縛り 花蕾に日が当たらない様にしました。
 この秋は異常に青虫やヨトウ虫が発生してカリフラワーの外葉はボロボロですが 株は大きいので3〜4日もすると1キロ程の真白なカリフラワーが収穫出来るでしょう。

 さて先の13日・14日は二日続きで大学と小学のクラス会があり 大津と八瀬に行きました。
 クラス会の案内状を貰った時には 二日目の団体行動は時間的に無理なので 一人 比叡山坂本からケーブルで山頂の延暦寺を経て 午後3時の集合時間までに八瀬に下りるつもりでした。

 坂本は昔から比叡山の僧侶・僧院を支えるための基地的な町として存在し また50歳を過ぎて定年退職した高僧達が60歳を過ぎると山を下りて里坊を構えて暮らす所でもありました。
 比叡山が琵琶湖に落ちる傾斜地の狭い地形に 社寺仏閣がひしめいて建っていて 多い時は90以上もあった里坊は現在でも54坊が残っています。
 幸いに風も無く穏やかな小春日和に恵まれ 駅前案内所で貰った観光マップを片手にデジカメを提げて歩きました。 観光客は年配者とたまにスレ違う程度の静けさです 尋ねた寺々では手持ち無沙汰の受付係の方が一対一の丁寧な案内して下さり 説明を聞きながら 狩野派の障壁画や小堀遠州作の庭園など貴重な遺産を次々に見て回りました。
 
 気が付きますと とうてい山越え出来る時間はありませんし もう少し鄙びた街並や「穴太衆積み(あのおしゅうつみ)」と言われる石積みの細道を歩いてみたい思いが強く 八瀬には京阪電車で行くことに変更しました。 
 昼食は名物の比叡山そばを食べることにしました。 京都に来た時に食べるそばは何時もニシンそばにしています。
 グルメガイドによりますと 日吉神社参道にある「鶴喜そば」の「鴨なんばん」がおすすめだそうです。 ところが この「鶴喜そば」の駐車場の看板のまん前に別のそば屋さんがあり「日吉そば」と言います。 司馬遼太郎が間違えて この「日吉そば」の方に入ってそばを食べ 「街道をゆく」の中で気まずい思いをしたと書いている店です。 私はその「日吉そば」でニシンそばを食べ 午後の散策に出ました。
 今回 坂本で撮った写真はWeb AlbumとしてPicasa にアップしました。 この「菜園ブログ」の右サイドのLinks欄にある「Picasaアルバム」をクリックして「'07年11月 坂本・八瀬のアルバム」を開いて写真をご覧下さい。 

 

月曜日, 11月 12, 2007

小松菜のペレット種


 写真は秋蒔き葉物野菜の第3回目で 赤シソ等の跡地に1ヶ月ほど前に種を蒔きました。
 巾1.2m 長さ2.5mの一畝を4分割して 1分割に20cm 間隔で3本の筋を付けて種を蒔いています。 この畝には 写真でご覧の通り 右からホウレン草・小松菜・ルッコラと 先日アップしましたターサイが蒔いてあります。 
 夏野菜の終わった後 順々に1週間から十日毎に一畝に数種類づつの種を蒔いておくと 11月の後半から翌春の3月まで 途切れること無く美味しい葉物野菜が収穫出来ます。
 今日は蝶や蛾の姿も減って来ましたので 防虫網のトンネルを捲ってやりました。 野菜達は 葉をいっぱいに広げて太陽の光を思い切り受けとめているようでした。

 この小松菜はタキイの「楽天」ペレット種を蒔きました。 ペレット種は初めてでしたが 視力や指先の感覚が鈍っている者には極めて有効です。 種は大根の種程の大きさのペレット状に仕上がっていますので 蒔き筋に2cmほどの 間隔に1粒づつ 蒔くと言うよりも置いていく感じでいいわけです。 ほぼ100%発芽しますので 2本を1本に 1回だけ間引いてやれば 丁度いい間隔になりますます。 種の単価は高いようですが 無駄が少なく合理的です。
 (旅行のために4日ほどブログを休みます。)

金曜日, 11月 09, 2007

ターサイの間引き移植


 写真は25日ほど前に蒔いたターサイです。
 本葉が4〜5枚出揃っていて 間引いたり移植したりするには 最も扱い易い時期です。
 11月になって ナスやシシトウを片付けた跡地に植える野菜としては 寒さに強くて美味しいターサイが打って付けです。

 そのやうな思惑で ターサイの種を蒔く時に15cm間隔で3筋蒔き 真ん中の一筋は掘り取ってナスの跡地に持って行く計画です。 
 ナスの跡地は肥料分が残っていますので マルチを捲って石灰を撒き ナスの太い根だけを取り除き ナスのセコハンマルチを掛け直して 15cm 間隔に穴を明けてターサイの間引き苗をシッカリ埋め込みます。 この時期 アブラナ科の移植は 根さえ有ればほぼ100% 活着します。(土が乾いている時は 植えた後で水をやって土に馴染ませます。)

 一方 残った両側のターサイは 先ず5~6cm の間隔に間引き その後 植え筋に沿って株の両側に移植鏝を差し込み 固くなった土をほぐし空気を入れてやります。 そのほぐした所に888 の化成肥料をぱらぱらと撒いて 移植鏝を差し込んだことでぐらぐらしている株元に土寄せをして株をしっかりさせます。
 こうしておきますとターサイは 生長が加速して 株はシッカリと張りが出て来ます。 株どうしが込み合ってくると間引き穫りしながら 最終的には30cm 角にターサイ一株ほどにします。
 
 こうして文章に書いてみますと面倒なことの様ですが 苗を作る期間と場所の有効利用になりますので 家庭菜園の楽しみとしてやっています。

月曜日, 11月 05, 2007

大徳川展を観る


 夏から身近なお地蔵さんや庚申塔など 民間信仰の石像を写真に撮ったり伝説を調べたりしてきました。
 資料によりますと 現在杉並区に400体近い石像が残っていて 約300体は建立された年代も判っています。
 その建立の時を年代別に並べてみますと まず寛永年代の1体が最初で それ以前には見られません。
 更に 寛文年代(1661~)から宝暦年代(~1764) の100年間に約200体 全体の3分の2が建てられています。 その後現在までの250年間には100体しか建てられていないのを見ると 江戸時代中期の寛文・元禄・享保を含むこの時代に 如何に石像が集中して建てられていたかがうかがわれます。
 戦乱の世が治まって 人々の生活の場が定まり かつ 既存の神社・仏閣への信仰とは別に一人一人の心の癒しを求める蔭の信仰が高まってきたのではないでしょうか?
その時代は 徳川幕府では3代将軍家光までの武断政治から 家綱・綱吉・吉宗へ繋がる官僚政治の時代になって世の中の空気も変わり 信仰の心に支えられた一般の人々の 活力が漲った良き時代であったのだろうと推察されます。

 この様な江戸時代中期への関心を持って 今 上野の国立博物館で開かれている「大徳川展」へ行って来ました。
 300点以上の品々は 我々の身の回りの品とは別物として 鑑賞するには興味ある品々で 見飽きすることはありませんでした。
 掲載しました写真はカタログからの転写ですが 寛政(1789~) 年代に10代将軍の娘種姫が着用していた夏用(左側)と冬用の上着です。 現物を見ますと 素人の目にも絞りや刺繍など高度な技法に驚かされます。
 また 左側の模様配置は 幾何学的な亀甲花菱文と清楚な花々を適当な空間に取り合わしています。 同じ繰り返し模様でも 現在の繰り返し模様とは違って 何処までこの模様を続けるか?の作者の意図が感じられる様に思いました。(写真をクリックすると画面が大きくなって よく見えるようになります。)
 人々の心豊かな良き時代に作られた品々に囲まれて 心地よい時間を過ごすことが出来ました。

 11月に入ると気温も下がって 野菜の成長もゆっくりになってきました。 一両日畑に出なくても 野菜達の状況が急変することはありません。 それをいいことにして 今日は野菜と関係のないブログになりました。